18歳の頃、ミュージカルが何かなんてまるで知らないで東京に出てきた。
歌が好きで、バレエだけは小さい頃からやってきて、でもそれだけだった。
目指したきっかけになる舞台があった訳でも、誰か特定の女優さんに憧れたわけでもなかった。
ちゃんとミュージカルを見たことすらなかった。
余りにも知らない世界なので、知らないのにやりたいというのも変だろうと思い、だったらまずは学んでみようと、舞台芸術学院の門をたたいた。
当時はミュージカル科と演劇科に分かれていて、私はミュージカル部本科15期生だった。
はじめての声楽の授業。
「オペラ座の怪人」の楽譜が配られると、クラスメイト達は初見で歌えて、「え?ちょ、みんないつ音取りしたん?」と全開の関西弁で聞いた。有名な作品だなんて知らなかった。
踊りは小さい頃からバレエのレッスンをしてきたので、ここで初めて学ぶジャズダンス、モダンダンス、タップダンス…。すぐに夢中になった。
肝心のお芝居は、正直、具体的に何を学んだのか覚えていない(笑)
ただ、作品の稽古はいつも楽しかった。休みの日も学校に来て、仲間と自主稽古。終わっても誰も帰ろうとしない更衣室。あの時間を青春と呼ばず何と呼ぼう。充実していた。
そして2年間で舞芸は、「舞台が好きだ、これを仕事にしたい!」という気持ちを私の中に目一杯育ててくれた。
そのおかげでプロになっても根っこはブレなかったと思う。大変なこと辛いことも、「好きを仕事にする」という幸せの上にのっていて、遠くから見ればこれも幸せの一部なんだと、いつも思えた。
さぁ、その母校で、講師になる。
私もあの頃出会ったような恩師になれるだろうか?それはわからない。恩師と呼ぶかどうかは人の決めることだ。
ただ、私にとって愛おしいあの2年間を、これから始める生徒たちが、いま目の前にいる。
「講師として私も皆と同じ一年生です。一緒に頑張りましょう。」入学式で言った。
オーディションに受かることだけがゴールのアーティストには育てたくない。
彼らは18.9歳で演劇の道に進もうと決め、これはその一歩目を共に歩く、重要な役目だ。
この立場を引き継がせてくださった恩師への感謝を胸に、全力で向き合っていく。