はじまり
団 こと葉
音はしなかった。
ただ、全身が硬直して、全く動けなくなった。
これが2013年11月、ミュージカル・キャッツ公演本番中の私の身に起きたこと。
結論から言えば、ジャンプの着地時に腰の靭帯断裂、更に以前から患っていた二箇所のヘルニアが悲鳴をあげたのでした。
でもそんなことはあとで病院でわかるのであって、その瞬間はただただ、
「あ、この痛みは人生でいちばんやばいやつだ。」とだけ思っていました。
30秒ほど頭が真っ白になったあと、どこから来るのかわからないプロ根性と本番中のアドレナリンの効果で再び動き始めます。
まずは上半身だけ、そして群舞を見せるためのフォーメーション移動、最終的にはお客様には全くわからないように少し振付を変更して最後までやり通しました。
身体は限界。
翌日からはダブルキャストと交代となりました。
そしてここから長いリハビリ生活。
2.3ヶ月のリハビリを経て舞台に復帰するも、すぐに同じ箇所を傷めるの繰り返し。
良くなるどころかヘルニアは三箇所に増え、幼少期からの側弯症との兼ね合いもあって、なかなか痛みから解放されない。
ついに半年後には脊髄へのブロック注射治療に入ります。
中味は麻酔とステロイド。
傷みは麻痺させてくれるものの、身体に良い訳がない。
免疫力が低下して一ヶ月に3度も40度の熱を出したり、入院しかけたこともありました。
もうだめだ。
こんなことをしていては舞台が嫌いになって辞めることになる。
そう思い、わたしは自ら舞台を離れることを決意しました。
はっきりしていたのはこの2つ。
身体のために少なくとも1年以上は舞台に戻らないこと、
でも演劇業界に関わる仕事は将来もずっとやっていきたいこと。
そんな時期にアクティングコーチへの道を意識し始めました。
在団中に附属研究所の講師を任されたり、責任者として作品作りに関わったことがあり、それらが非常にやりがいがあったのです。
そしてその中で、経験としては教えられるけれども、それだけでは知識が偏っているとも感じていました。
ならばこの身体を思うように動かせない期間、どっぷりと芝居だけを勉強しなおすのはどうだろう…
考えの種が根を下ろし、グングン育って、あっという間の9ヶ月の準備期間が過ぎました。
そして2015年9月、私はニューヨークに降り立ちます。10年以上ぶり、人生二度目の演劇学生生活の、はじまり、はじまり。